埼玉出身の著名人をはじめ総勢22名から絶賛コメントが続々到着!太田信吾監督最新作『沼影市民プール』

(c) hydroblast

ひとつのプールの喪失が、あなたの街の未来を映し出す
とあるプールが息を引き取るまでの、49日間の記録
これは、都市開発が置き去りにした住人たちへのケアのプロセスである

1971年、「海なき市にプールを」という市民の願いから生まれた沼影市民プール。“沼プー”の愛称で親しまれ、52年間で約600万人が訪れたその場所は、子どもたちの遊び場であり、人々の健康を支え、名前のない出会いや関係が生まれる場所でもあった。しかし2022年、さいたま市は屋外プールを解体し、新たに小中一貫校を建設すると発表。プールを必要とする10,000人以上から反対の署名が寄せられるも計画は進み、わずか2年後にプールは惜しまれながら姿を消した。その後、市は3度の入札を実施するもいずれも不調に終わり、2030年4月に予定されていた学校開校の見通しは依然として立っていない(2026年6月現在)。本作はプールがなくなるまでの49日間を記録したクリエイティブ・ドキュメンタリー。

公開まで2ヶ月を切り、本作の本予告編と推薦コメントが解禁された。

すでに取り壊されている沼影市民プールだが、予告編では取り壊された経緯を追いながら、プールが多くの市民の憩いの場として必要不可欠なインフラとなっていたことを感じさせる。映画はプールを愛していた地域住民が、この喪失をどう受容するのかというケアのプロセスを、精神科医エリザベス・キューブラー=ロスが提唱した「死の受容の5段階(否認・怒り・取引・抑うつ・受容)」をもって描いていることも示唆する。一部、性的マイノリティの男性たちの出逢いの場としても知られていたプールの知られざる一面も仄めかされるが、これもいかに多様な人々がそれぞれにプールを必要としていたかを感じさせるエピソードとなっている。

推薦コメントでは、埼玉出身・沼影プール利用者をはじめ、総勢22名(!)という豪華な顔ぶれが揃った。まさに予告編で描かれたように、いかに多くの人々がこのプールを愛していたかが想像できる気持ちのこもったコメントばかりだ。

また、『沼影市民プール』は6月26日から7月11日まで、台湾の台北市内で開催された台北映画祭でも上映された。今年が28回目の開催となる同映画祭の期間中に、本作は2回の上映ともソールドアウトとなるなど盛況だった。上映後のQ&Aには、太田信吾監督をはじめ、出演した荒岡龍星さん、Toshi Douglasさんも登壇。Q&Aでは、まず、本作を作った動機についての質問が出た。太田監督は、「沼影市民プールは、自分自身やプロデューサーの竹中香子さんも子どもの頃から通っていた身近な場所だった。3年前、都市開発のためにこのプールが解体されるという話を初めて聞き、市民の悲しみや怒りの声に触れた。都市開発のプロセスにおいて、市民の心情への配慮や告知のあり方がもっと丁寧であるべきではないかという疑問を抱いたことが、プロジェクトの始動につながった」と説明。さらに、太田監督は10年前に友人の自死をテーマにした映画『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を制作・監督した経緯から、「大切なものを失うときの痛み」をどう乗り越えるかを常に考えている。対象が「人」であっても「建物(プール)」であっても、失われる過程において人々の心がどのようにケアされるべきかという問いが、本作の根底にあると語った。

また、本作は一部、フィクションパートを含んでいる。これまで出品した映画祭で「クリエイティブ・ドキュメンタリー」と評されていることもあり、「なぜドキュメンタリーとフィクションを織り交ぜた形式を採用したのか?」という質問も飛び出した。それに対して太田監督は、「このプールが日本のゲイ・コミュニティにおいて非常に有名な交流の場(クルージング・スポット)であったことを知り、その側面を作品に反映させるべきだと考えた。出演者の荒岡龍星氏は知人の俳優であり、役柄にふさわしいと考え出演を依頼した。同じく出演者のToshi Douglasさんは、実際のプール利用者だが、家族にカミングアウトしていない状況だった。『演技』という行為には、現実の自分と距離を置き、自身の人生の可能性を探索する力がある。プライバシーを保護しつつ、彼が自分自身を客観的に見つめるための手段として、ドラマの要素を取り入れた」と語った。

本作は台北映画祭を含め、すでに世界中の15以上の海外映画祭で上映されている。「観客それぞれの『失われた場所』を呼び覚ます」(釜山国際映画祭)、「公共空間そのものへの、ほろ苦くも美しい哀歌」(テッサロニキ国際ドキュメンタリー映画祭)という評が示すように、9月一般公開を控えた日本でも公共空間の再開発のあり方について議論を呼びそうだ。

(c)台北電影節|余沛晨

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■伊藤愛真(タレント)
海なき市だからこそ、プールが子供だけじゃなく多くの方の思い出の場所。沼影市民プールは一つの場所にいろんな季節や記憶が重なっているんだなって。誰かと時間を共有しながら過ごし、運動する。そんな場所が当たり前にあることの尊さ、どんなに足掻いても時代と共に変わっていく寂しさが伝わる作品でした。大人でも寂しいのに子供の時だったらもっと辛かっただろうな。映画にしてくださりありがとうございます。

■五十嵐太郎(建築史家/建築評論家)
プールの背後に見える、新しい高層マンション群。人口の急増によって街が栄え、学校用地が必要となり、皮肉なことにプールが犠牲になった。
が、子供の増加は一時的な現象だから、そのために半世紀にわたり、様々な市民に愛された公共の場を壊してよかったのか。
人の平均寿命よりも短い期間で、アノニマスな建築が解体された。
しかし、死の最終段階は忘却だろう。人々の記憶に残り、この映画によって長く語りつがれるなら、まだ心の中で生きている。

■今江敏晃(元プロ野球選手)
この映画は、ただプールがなくなる話ではなく、「人と場所の関係」を静かに描いていると思います。野球も球場という場所があるからこそ、歓声や悔しさ、思い出が積み重なっていくもの。気づけば当たり前にあった場所がなくなる時、その重みを改めて感じさせられる。誰にとっても“帰れる場所”とは何かを、そっと問いかけてくれる作品でした。

■大木亜希子(小説家)
いつまでもそこにあると信じてやまない場所も人も、いつか消えてしまう。だからこそ、その儚さは尊く、多くの人にとってたまゆらなものとなり、消えない思い出として記憶に残り続けるのだろう。

■荻野由佳(モデル/インフルエンサー)
私も埼玉出身で、幼い頃から県内の市民プールに通っていたので、とても感情移入しながら観ました。
実は私が通っていた市民プールもなくなってしまい、その時は本当に寂しかったのを覚えています。
夏休みの空気や、水の匂い、家族や友達と過ごした時間まで思い出して懐かしさと切なさで胸がいっぱいになりました。
当たり前だった場所が、大人になってからもこんなにも大切な思い出だったんだと改めて感じる作品でした。

■コットン きょん(お笑い芸人)
この映画を通して沼影市民プールがあったというのを僕は知りました。なぜあの少年時代に行かなかったんだと埼玉県民として後悔してます。色々気持ちが重なってしまった映画だった。
僕も少年時代に行っていた、駄菓子屋だったり、広場だったり、プールがもうないのを知った時、心の中にポカンと穴が空いたような日の事を覚えています。自分たちが大人になったから終わり!とかではなくて、これからの未来の子供達も遊んでほしい場所がなくなるのは心苦しい。
個人的な事ですが去年子供が生まれてより、こういう場所を子供達から奪わないでほしい。新しい教育をやる上では問題ないが、このプールで学ぶ事もたくさんあるのではないかと考えされられた映画でした!

■サカイJr.(モナキ)<歌謡コーラスグループ>
「都市更新」というと一見無機質な言葉ですが、この作品ではキューブラー=ロスの“死の5段階”を重ねることで、血が巡り出し、生々しい生活者の視点で「その意義」を問い直しています。都市と記憶の関係を静かに考えさせてくれる力強い作品でした。

■清水晶子(大学教員)
「公共空間」と言われて市民プールを思い浮かべる人はそれほど多くないかもしれない。市民プールの利用者として性的少数者を思い浮かべる人はさらに少ないかもしれない。それでも市民プールは公共の場で、だからこそ、多様な人たちが多様なかたちで、その場とかかわって生きてきた。プールサイドで出会った男性二人が「このプールがなくなったらみんなどこで出会うんだろう」と語り合う。「ここで出会って結婚したカップルもいた」と長年プールを見守ってきた監視員が歴史を語る。二組のカップルを隔てる制度的な壁と、公共空間の共有/喪失が両者にもたらす微かな繋がりとを、映画は静かに映し出す。

■辛酸なめ子(漫画家・コラムニスト)
海よりもディープで、人情と煩悩が渦巻く沼影市民プール。広くて大きい海にはない、狭いプールだからこその居心地の良さが。この映画で沼影市民プールの魅力を知ってももう行けないので切なさが募るばかりです。

■芹沢高志(P3 art and environment)<アートディレクター、都市・地域計画家>
誰にでも死は訪れる。ある日突然、死を宣告されたとき、人はいかに振る舞っていくのだろうか?キューブラ・ロスはその過程を、「否認・孤立」、「怒り」、「取引」、「抑うつ」、「受容」と、「死の受容の5段階」としてモデル化している。この映画の秀逸さは、この有名なモデルを道標として、皆に愛されてきた公共建築物の死の宣告を追っていったところだろう。都市を自分の身体の一部として見ていく視点は極めて重要だ。私たちが生きる、この世界の見方が変わっていく。

■高橋由美子(俳優/埼玉県出身)
作品全体を通して「沼影市民プール」に「生活」する方々がありありと描かれていて、さいたま市に生まれた私も初めて目にする事実がありました。
一つの行政施設を維持管理する工程に多くの人の想いが交錯し、今当たり前にあるものも危ういバランスに成り立っていることを考えさせられる作品です。
大人になった私が、それは単に「寂しい」という感情だけで観ることのできない世界があることに圧倒されました。

■ダイアモンド☆ユカイ(ロックシンガー/俳優)
青春の沼影市民プール。
確かにそこにあったという記憶は決して消えることはない。
海のない町・埼玉にとって、市民プールはかけがえのない海だった。さいたま市浦和で子育てをしてきた僕ら家族にとって、沼影は青春そのものだ。
アーティスティックスイミングでオリンピックを目指す娘も、小学生の頃このプールでオリンピアンで俳優の藤本隆宏さんに泳ぎを教えて頂いた。
家族みんなで通い、子どもたちが初めてスケートで氷の上に立った日の笑顔が、今も鮮やかに甦る。
有り難う沼影市民プール。君は永遠に、僕たちの心の水面で静かに輝き続ける。

■西村まさ彦(俳優)
大人の事情や都合によって、子供たちの遊ぶ場が失われていく。
私たち大人は、どの目線で物事を見つめ、何を基準に決めるべきなのだろうか。
人は立場や役割に固執するあまり、判断を誤ることがある。
声が届かない。伝わらない。
その主張が正しいかは簡単に判断できないが、まず受け止めようとする姿勢は必要なのではないか。
子供にとって「遊び場」は、心が自由になれる大切な居場所なのだ。

■にゃんこスター アンゴラ村長(お笑い芸人/埼玉県本庄市広報観光大使)
プールが死んじゃった…。
この映画を見た後、沼影市民プールは「取り壊された」のではなく「死んでしまったんだ」という血の通った何かの終わりを見てしまった感覚になりました。
ただの建築物であって言葉を話さなければ心もないはずのプールも、人間の感情が泳いで思い出が生まれると、こうも人間くさくなって鼓動を感じるのかと不思議な気持ちでした。
たかがプール、されどプール。
人が街を、未来を、プールを想う愛のお話です。

■ピエール中野(凛として時雨)<ミュージシャン>
映像の色味があまりに美しくて、気づいたら自分の記憶の中に入り込んでいた。
「さよならだけが人生だ」という言葉を思い出した。頭では理解しているのに、感情は追いつかない。それはどこか、バンドの解散やメンバーの脱退に感じる喪失とよく似ている。
一方で、こうして映像作品として残せたことは、確かな救いでもあると思った。人生は失っていく連続で、跡形もなく消えていった店、バンド、居場所がいくつもある。
それらがもし同じように映像として残されていたら、どれだけ救われただろうと思う。
映画そのものの意義を感じさせる、本当に良い映画だった。

■藤田直哉(批評家/日本映画大学准教授)
政治的対立の背景に、喪失体験を透かし見る。それが、この映画の視座である。
市民のプールがなくなる。それに対する様々な立場があり、政治的な対立や運動にもなる。その主張を検討するのでも、ユニークな登場人物を追うのでもなく、喪失に対する反応としそれらを見、可能ならばこの映画それ自体が喪と追悼となり、鎮魂を願っているかのようだ。
ひょっとすると、世界中の様々な争いも、喪失に対するトラウマ反応の連鎖なのではないだろうか。この映画の、静かで端正な画面は、沼影市民プールの遠くに、この世界のあり方そのものをも透かし見た、追悼と祈りである。

■ブルボンヌ(女装パフォーマー)
劇中劇的な「界隈でも話題だった沼プーの常連客、ゲイおじさんのプールナンパと同居母への紹介」ドキュメンタリーに変な声出まくり…。人生いろいろを文字通りプールした、市民とゲイの拠り所のラストアルバム!

■村田綾(俳優/さいたま観光大使)
沼影市民プールは、多くの市民にとって、そして私にとっても思い出と交流が生まれる特別な場所でした。その記憶を映画として未来へ残してくださったことに心から感謝しています。この作品を通して、地域にある“当たり前の風景”や人が集える場所の大切さが、市民の方々や全国・世界にも伝わっていくことを願っています。

■渡邉美穂(俳優)
かつてあの場所には活気が溢れ、人が、地域が繋がれるプールがありました。
埼玉県出身の私もそこで幼少時代を過ごした一人です。
「沼影のプール行こう!」と固定電話から幼馴染に電話をかけたあの日、身長が120cmを超えて初めてウォータースライダーに挑戦したあの瞬間、近くの工場から漂ってくる甘ったるいチョコレートの香り。全て鮮明に覚えています。
形は無くとも人々の記憶や想いは決して消えない。それをこの映画が証明してくれました。
本当に大好きな場所でした。
たくさんの思い出をありがとう。

■小原信治(放送作家/脚本家)
再開発による52年愛されてきた市民プールの解体が、まちの歴史とコミュニティを破壊していく。 埼玉で市民プールを「海」として過ごした幼少期の記憶を重ねる太田監督は、再開発の是非ではなく、大切なものを失う人々への「心のケア」がおざなりにされている現実を問う。死にゆくものに寄り添い続けた1年の記録で”まちの記憶”を未来へつなごうとする。再開発をめぐる「喪の仕事」が、持続可能なまちづくりの在り方を見つめ直す契機をくれる。

■武田砂鉄(ライター)
みんなの場所だったのに壊してしまう。
誰かの事情で、誰かの思惑で。
場所は人間を包み込む。場所を壊せば、人間がそこからこぼれ出していく。
場所は人間が作る。人間は場所が作る。
この事実の重さと温かさが、作品全体から漂ってくる。

■吉田恵輔(映画監督)
世界中の映画監督で、絶対に観なくてはいけないのが私です! 
私は沼影市民プールの近くに住んでいました。スイミングスクールには6年間通い、夏休みには何度も遊びに行きました。
子供の頃の想い出が詰まった大事な場所です。
少しカビ臭いロッカールーム。ヌメっとした日陰の休憩所の床。一見古くダサい市民プール。
そこには笑顔に包まれた膨大な時間、出会い、青春、沢山の忘れられないものが存在した。
場所が無くなる事は、想い出の一部が削り取られる、痛みのような感覚。
勿論、いろいろな考えがあっての取り壊しなのでしょう。だけど、この痛みはどんな説明を受けても癒せない。
太田監督、この作品を作ってくれてありがとう。
沼影市民プールが、改めて大好きだったと思い出させてくれて。

■作品概要

『沼影市民プール』 
9月5日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

1971年、「海なき市にプールを」という市民の願いから生まれた「沼影市民プール」。市民の憩いと出会い、そして健康を支える場として、52年間で約600万人が訪れた。ところが2021年、市はプールの解体と、小中一貫校の建設を発表。存続を求めて900通を超えるパブリックコメントや1万人以上からの署名が寄せられるも計画は進み、2024年、プールは静かに役目を終えた。本作はプールが営業を終えるまでの49日間を記録、公共施設の喪失が市民に何をもたらすのかを描き出す。監督は『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(13)や『解放区』(14)で知られる太田信吾。ドキュメンタリーとフィクションを横断する独自の手法は国内外で高く評価され、本作は制作段階においてカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭2024にて日本企画としては初となる「First Cut+ Works in Progress Award」を受賞。その後も釜山国際映画祭、テッサロニキ国際ドキュメンタリー映画祭、台北国際映画祭をはじめ12以上の国際映画祭で上映されている。

(c) hydroblast

 

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英題:NUMAKAGE PUBLIC POOL
2025年/日本/80分/DCP/カラー/16:9/ステレオ/映倫G
監督・撮影・編集・録音:太田信吾
音楽:内橋和久 助監督:芳賀直之 追加撮影:与那覇政之、上ノ園芳樹
プロデューサー:竹中香子、太田信吾 アソシエイトプロデューサー:高根順次
アシスタントプロデューサー:マキシム・ロレ 共同プロデューサー:みやたにたかし
企画協力:サトシ・フクモト パブリシティ:プレイタイム
エンディングテーマ曲:SuiseiNoboAz「それから」
企画・制作:ハイドロブラスト 配給:NAKACHIKA
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)、
独立行政法人日本芸術文化振興会 (c) hydroblast

公式サイト http://numakage-film.com/
公式X https://x.com/numakage_film
公式Instagram numakagepool_film

2026-07-15 | Posted in NEWSComments Closed 
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