10月28日公開『ポリーナ、私を踊る』監督インタビュー
一人の天才バレエ少女が数々の出会いと別れ、成功と挫折を味わいながらも踊り続け、成長していく姿を描いた映画『ポリーナ、私を踊る』が10月28日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、 ヒューマントラストシネマ渋谷 ほかで全国公開される。
原作は、フランス漫画界期待の新星バスティアン・ヴィヴェスのグラフィック・ノベル「ポリーナ」。BD書店賞やACBD 批評グランプリに輝いた人気作である。主人公ポリーナを熱演したのは、本作で映画デビューを飾る期待の新星アナスタシア・シェフツォワ。ダンサーとしての資質と独特の存在感が認められ抜擢された。監督は幅広いジャンルの作品を手掛けているヴァレリー・ミュラーと、バレエダンサーでありコンテンポラリーダンスの振付家としても世界的に活躍するアンジュラン・プレルジョカージュが共同で担当。原作の世界観を失うことなく、アーティスティックな意欲作として完成した。
作品PRのため来日したヴァレリー・ミュラー監督とアンジュラン・プレルジョカージュ監督に作品に対する思いを聞いた。
―バスティアン・ヴィヴェスのグラフィック・ノベルを映画化したいと思った理由を教えてください。
アンジュラン・プレルジョカージュ(以下プレルジョカージュ):ポリーナが選び歩んできた道に心惹かれました。原作は、人間が持つ脆さや弱さが、結果として創造性や成功のカギにもなり得るという物語です。僕はダンスを始めてから、数えきれないほどのダンサーを見てきました。非常に才能に恵まれた人もいれば、そうでない人もいます。仕事としてダンスを踊り続けている人が必ずしも才能に恵まれたダンサーとは限りません。とても上手いのに、突然燃え尽きてしまうことはダンサーや振付師にもあります。その一方で長く続け、しぶとさや粘り強さによって強くなるアーティストがいます。それを描いていることにリアリティーを感じたことも理由の1つです。
ヴァレリー・ミュラー(以下ヴァレリー) :グラフィックアートとして優れています。さらに、ヒロインのクラシックバレエダンサーがライバルや競争に翻弄され、拒食症になってしまうというよくある物語に陥っていないところがいいですね。道徳的・身体的な困難に立ち向かいながら、仕事に打ち込む若者たちの非常にリアルな世界を映し出しています。
―ポリーナ役には本物のダンサーを起用すると最初から考えていたのでしょうか。
ヴァレリー:最初はダンスの経験がある女優の中から探していました。しかし、ダンスを辞めて数年も経つと、求めるようなレベルのダンスは踊れなくなってしまうことがわかってきたのです。そこで本物のダンサーから探すことにしました。
プレルジョカージュ:ヨーロッパでオーディションをして、約300人の女性に会いました。しかし、バレエは完璧でもコンテンポラリーダンスは劣ったり、ダンスはあらゆるジャンルを踊れるけれど演技に不満が残ったりと満足できるダンサーに出会えませんでした。そこでロシアで探すことにして、モスクワ、次にサンクトペテルブルクに行きました。併せて600人くらいのダンサーと会ったと思います。
―そこでアナスタシア・シェフツォワに出会ったのですね。
ヴァレリー:アナスタシア・シェフツォワはダンサーとしての資質に加え、強烈なパワーを発散しながら、どこか謎めいた魅力を感じさせてくれました。最後のデュエットは、プレルジョカージュとアナスタシアの共作。アナスタシアと作品を作るのはパワフルな経験でした。
―作品の中で先生がダンスとは何かと問い、ポリーナが身体から自然に生まれるものだと答えました。これは原作とは違いますが、監督の考えるダンスでしょうか。
ヴァレリー:ポリーナがそのセリフを言うのは少女のときです。あの時点では自分の空想力、想像力で体を動かせばダンスになる。だからダンスは身体から自然に生まれるものだと答えたのです。しかし、そのあとのポリーナの軌跡を見ると、そう簡単なものではありません。まず古典の厳しいテクニックを学び、そのあとコンテンポラリーに移行しますが、そこでテクニカルな難しさに直面しました。ダンスが身体から自然に生まれるというのは、彼女が小さく、ナイーブだからこそ言えるセリフです。
―小さいときは喜びいっぱいに踊っています。成長するにつれて評価を気にするようになりますが、ラストはまた内面からあふれるものを踊っていると感じました。
プレルジョカージュ:ポリーナが子どもの頃、お父さんと狩りに行ったとき、お父さんには見えないトナカイが見えました。このトナカイは彼女のインスピレーションやオープンな心の象徴です。ラストにトナカイが戻ってくるのは、彼女にインスピレーションが戻ってきたことを表しています。
―撮影で苦労したのはどんなところでしょうか。
プレルジョカージュ:キャスティングに時間をかけましたが、役者のダンス、ダンサーの演技の練習にも時間をかけました。
またダンスをどう撮るかも重要な問題でした。例えばリハーサル室で練習している風景はカメラを肩担ぎにして、ぐっとダンサーに寄って細かいディテールを撮りました。少女が雪の中で踊っているのを空想したシーンはカメラをドリーに載せ、横移動して撮影し、非現実感を出しました。
ヴァレリー:子役がダンスをしているシーンは難しかったですね。子どもは撮影可能な時間が限られています。その中で撮り切らなくてはなりません。それともう1つ、最後のデュオのダンスシーン。あれはワンシーンワンカットの長回しで撮ったので、18テイクを重ねました。踊っていた2人は大変だったと思います。
―シルエットが何度も使われていましたが、アントワープで夜のビルを外から撮ったシルエットが印象的でした。
プレルジョカージュ:シルエットを使ったシーンは2つありましたが、アントワープの夜のビルのシルエットはリハーサルを重ねて時が流れていくという時間の経過を表しています。
ヴァレリー:あのシーンは主人公たちが踊るダンスのシーンとは違い、ナレーションとしての役割を担っています。
―演目全体を振り付けることと、今回のように映画の場面だけを振り付けるのではどちらが大変でしょうか。
プレルジョカージュ:私はいつも、目の前にいるダンサーのために振り付けることを心掛けています。たとえば『ル・パルク(庭園)』なら、オペラ座のダンサーたちのDNAの中にあると思ったものをインスピレーションにして作りました。東京バレエ団の人たちに振り付けるときは、彼らの身体の中にある歴史や文化は何かと考えて、彼らのための新しい作品を作る。ダンサーたちの背景と私のスタイルが混じったものができあがるのです。
『ポリーナ、私を踊る』のための振り付けはおもしろい体験になりました。ここではポリーナが振り付けたという前提があります。私はポリーナの頭の中を想像して、ポリーナならどういう風に振り付けるかを考えて作りました。私が白紙委任されて作る作品とは違います。ラストの舞台作品はポリーナがボジンスキー先生と学んだ体験、ビノシュとの交わり、ポリーナの人生経験の上に成り立っています。100%私の作品というわけではないのです。ダンスから彼女の体験を感じてもらえればと思います。
―ポリーナの生活についても原作より深く描いています。
ヴァレリー:人は社会的な環境の中で生きています。主人公の家族という社会的なバックグラウンドを見せるべきだと思いました。また、貧しい環境から身を起こした世界的に有名な振付師、ダンサーはかなりいます。貧しくても身体一つでできるので、ダンスによって成功し、社会的階級が上がることが現実としてあることを伝えたいと思いました。
プレルジョカージュ:バスティアン・ヴィヴェスのグラフィック・ノベルのスタイルはエレガント。とても美しい。しかし、グラフィック・ノベルと映画は違うメディアです。グラフィック・ノベルのコマをそのまま映像にしても、それは単に抽象的なイメージの連続にすぎません。社会的な背景、現実を描かないと映画にはならないのです。
ヴァレリー:ミューズというのは普通、女性で、インスピレーションを与える側です。この作品ではジェレミー・ベランガールが演じたカールがミューズとしてインスピレーションを与える側になっているところが普通とは逆で面白いと思います。
プレルジョカージュ:小説を脚色して映画化するケースは多いですが、原作に忠実になりすぎないほうがいい作品になると思っています。具体例を挙げると、アルベルト・モラヴィアの小説をジャン=リュック・ゴダールが『軽蔑』にし、ジョゼフ ・コンラッドの『闇の奥』をコッポラが『地獄の黙示録』にしました。どちらも映画化する際に過激に解釈して、改変しました。でも、そこがいいのです。クリエーターが書いたものをクリエーターが脚色する。アーティストも「忠実に」とばかり考えなくていいと思っています。
―ラストのダンスシーンは繊細さと迫力が感じられました。なぜデュオだったのでしょうか。
プレルジョカージュ:ラストシーンは2人で踊るパ・ド・ドゥですが、観客の視点とパートナーの視点で撮ってみたいと思いました。そこでクレーンを使ったのです。客席から引きで撮ることもできるし、そこからカットなしのワンショットでぐっと近づいて、まるで相手役のパートナーから見ているような絵を撮ることもできました。その結果、パ・ド・ドゥが、まるでカメラが3人目の登場人物のようなトリオの感覚が醸し出されたと思います。カメラの動きと振付を一緒に考えて撮りました。
ヴァレリー:「デュオ」はこの作品のテーマのひとつ。生と死、先生と生徒、父と娘、母と娘、ポリーナと彼氏、振付師とダンサー。すべて2人の関係です。だからこそ、ポリーナが最後に振り付けする舞台作品がデュオなのです。
監督・脚本:ヴァレリー・ミュラー
Valerie MULLER
芸術と映画の歴史を勉強しながら、助監督及びプロダクションアシスタントとして働き始める。その後、『Avant La Parade』(94)や『Portrait en Mouvement』(96)などのドキュメンタリーだけでなく、マリオン・コティヤール主演『La Surface de Réparation』(98)、『Cellule』(03)などのショートフィルムも制作。2009年にはフランソワ・ファヴラ とオリビエ・ソレルとともに『L’Identité』、2012年にはサルバトーレ・リスタと『Deluge』を共同執筆した。また、自身の制作会社であるリチウムフィルムとの共同プロデュースも多く、主な作品は、エヴァ・フッソン監督の『Tiny Dansers』(07)やアンジュラン・プレルジョカージュ監督の『La Dernière Pearle』(15)、オリヴィエ・アサイヤス監督のドキュメンタリー『Eldorado』(07)などがある。『ポリーナ、私を踊る』は彼女がアンジュラン・プレルジョカージュと共同監督した2本目の長編映画。
監督:アンジュラン・プレルジョカージュ
Angelin PRELJOCAJ
1957年1月19日、フランス・シュシー=アン=ブリ生まれ。フランスでアルバニア系の両親の元に生まれ、古典舞踊を専攻したあと、カリン・ヴィーヌールの元でコンテンポラリーダンスに転向。1980年にはニューヨークに移住し、ゼナ・ロメットとマース・カニングハムに師事する。その後、ドミニク・バゲのダンスカンパニーに入団し、自身のダンスカンパニーを1985年に設立。以降、ソロから大規模なアンサンブルまで、振り付けは49作品にも及ぶ。それらは、世界中のレパートリーともなっており、ニューヨーク・シティ・バレエ団やミラノスカラ座、そしてパリ・オペラ座バレエ団など、有名ダンスカンパニーからも委託されている。CMや映画作品でも振り付けを担当しており、これまでに数々の賞に輝く実績を持つ。さらに、フランス文化大臣はレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエと共に彼をナイト爵、そして芸術文化勲章オフィシエと国家功労勲章オフィシエの名誉職位を授与。2014年にはSamuel H. Scripps/アメリカン・ダンス・フェスティバル功労賞も受賞した。 2006年10月以降、プレルジョカージュ・バレエ団とメンバーはパヴィヨン・ノワールで創作活動しており、本作は自身初のフィクション映画である。
『ポリーナ、私を踊る』
<STORY>
ボリショイ・バレエ団のバレリーナを目指すロシア人の少女ポリーナ。貧しい家庭環境で育ちながらも、厳格な恩師のもとで幼少の頃から鍛えられ、将来有望なバレリーナとして期待されていた。ところが、憧れのボリショイ・バレエ団への入団を目前にしたある日、コンテンポラリーダンスと運命の出会い。すべてを投げ打って、パートナーと南フランスのコンテンポラリーダンスカンパニーへ行くことを決意する。しかし、新天地で待ち受けていたのは夢と愛に葛藤する日々。そんななか、練習中に怪我を負い、描いていた未来が狂い始めていく。失意のポリーナが、新たにたどり着いた場所で見つけたものとは……。10月28日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、 ヒューマントラストシネマ渋谷 ほか全国ロードショー
監督:ヴァレリー・ミュラー&アンジュラン・プレルジョカージュ
脚本:ヴァレリー・ミュラー
出演:アナスタシア・シェフツォワ、ニールス・シュナイダー、ジェレミー・ベランガール、アレクセイ・グシュコフ、ジュリエット・ビノシュ
原作:バスティアン・ヴィヴェス「ポリーナ」(原正人訳、小学館集英社プロダクション刊)
配給:ポニーキャニオン
2016 年/フランス/フランス語、ロシア語/108 分/カラー/5.1ch/PG12/字幕:古田由紀子/
原題:POLINA, DANSER SA VIE
©2016 Everybody on Deck – TF1 Droits Audiovisuels – UCG Images – France 2 Cinema
公式サイト:http://polina-movie.jp/